・・・つづき。行ってみます!

benizake2007-11-17

タツに入ってテレビを見ていると、すぐに眠くなる。そんな時は、ぬくぬくの毛布がちょうどいい。


よし、あと数日は暖房費を節約しよう・・・
うんギャー!!





ではでは、鹿島神宮のつづきから。


見上げるような大鳥居を過ぎると、朱色の楼門が迎えてくれる。日本三大楼門のひとつで、寛永11年(1634)徳川頼房公が奉納した門。300年という時の重みに感動しました。

楼門をくぐると、ひときわ大きな二郎杉に圧倒されました。あとで調べてみると、樹齢800年の椎の木とありましたが・・・画像左にあるのが二郎杉です。
七五三シーズンとあって、二郎杉の下を歩く神主さんも足早だったような。



この二郎杉の左側に、拝殿・弊殿・石の間・本殿が奥へと連なっていました。

鹿島神宮の社殿は元和5年(1619)に二代将軍徳川秀忠公より奉納されたもの。本殿の後ろにそびえ立つのが、神木「杉」です。樹齢1200年というから・・・・奈良時代から???

社殿を過ぎると奥参道が森の中へと続いています。

奥参道には砂利もなく、足元の水溜まりを右に左に除けながら、頭上の大木に驚きながらも、先に進んでみました。そこには将軍徳川家康公が慶長10年(1605)に本殿として奉納し、元和の造営の際に引き移したという奥宮がありました。

家康公の文字を目にしたときは、鹿島の歴史を知らなかったことが恥ずかしく思いました。




奥宮の先150mのところには、「水戸黄門仁徳録」にも載っている要石もありました。要石とは「七日七夜掘っても掘りきれず」との記述がある巨石の頭頂部でした。


掘っても掘りきれない巨石を前に、光圀公の家来が“どんだけ〜”と叫んだかは・・・??


陽射しのない森の中はだんだんと薄暗くなり、ここまで来て社殿へと戻りました。


楼門に戻ると七五三のお参りを終えた姫様が拝殿から出て来て、はしゃいでいました。“着物を汚さないでよ!”とカリカリする母親とは正反対に、のんびりとカメラを向けるお爺ちゃん。


何年経っても、どこでも一緒。


こんな光景も懐かしく見える歳になったね・・・と。鹿島神宮の森、また歩いてみたいです。