ただいま〜〜♪

ちょっとだけのはずが
ずいぶん、ご無沙汰してしまいました。
ひと月も更新しないで、何をしていたんだ?!と言いますと・・・
まずはソコから始めましょうか。



待望の夏休みと喜んだのも束の間、母を連れて某医大付属病院へ行きました。
母の病名は、脊柱管狭窄症(せきちゅうかん きょうさく症)と言います。
難しい病気ではないけれど、
母の場合、歩くことも座ることも困難という、ちと厄介な症状でした。


   院内での移動は車椅子でしたが、それも1分が限界です。
   足のしびれと痛みを訴え、額からは脂汗が。
   急げ急げ!と車椅子を押しながら、ソファーに寝かせる。
   母としては、手術でも何でもいいから早くこの苦痛から解放されたい・・・と。


   ところが母は、心臓もよろしくない。
   そんな患者にドクターが手術を薦めるわけもなく。
   まずは3週間の予定で○○病院に入院し、
   薬物療法とリハビリを受けることになりました。

     
N医師に紹介された○○病院では、すぐに薬物治療が始まりました。
ところが5〜6日が過ぎたあたりから、薬物アレルギーが出てしまい、
体中に小さな赤い斑点が。そして強い痒みを訴え始めました。


体は真っ赤になって膨れあがり、3日ほど高熱も続きました。
赤味が消えると共に、カサカサになった皮膚が剥がれるように落ち始めた。
頭の先から、耳の中、脇の下、足の裏まで、皮と言う皮、すべてが剥がれた。
ショック死しなかったのが不思議なくらいでした。


突然こんな状況になったと言うのに、医師からの説明はないまま。
釈然としないまま、いつものように母の元を訪れると、
どことなく様子が違うではありませんか。


    表情が変だし、話し方もオカシイ。
    ご飯を食べようとするが、手元が震えて口まで運べない。
    血圧も上がり気味で、口の中が乾いて上手く喋れなくなると言う。
    締まりのない口元、ろれつも回らなくなっている。


    私の問いかけには受け答えが出来るものの、
    (隣のベットに寝ている)お婆ちゃんの名前も思い出せなくなったと言う。
    その時、私の頭によぎったモノは・・・脳梗塞
    

    すぐ看護師さんに「母の様子がオカシイ!!」と訴えました。
    翌日MRIを撮り、新しい点滴も始まったと言うが
    それでも医師からの説明が全くない!!
    怒りが頂点に達し、明日にでも転院させようか!となった翌日に
    ようやく医師から呼ばれ、説明を受けた。


    まずは、強いアレルギーが起きたこと。
    原因となったと思われる薬物の使用は中止したこと。
    
    この薬物は血管を拡げる作用があり、
    サラサラになった血液が勢いよく流れ始めたことで、
    血管内部にこびりついていた老廃物までもが剥がれてしまい、
    結果的に脳内の細い血管に詰まってしまった・・・らしい。


    症状的には脳梗塞の一歩手前だったそうです。
    

    今は言語障害も消え始め、以前のような喋り方に戻ってきました。  
    表情も段々とよくなって、最悪の状態は免れたようです。
    昨日は『おかん(私のこと)の料理が食べたいよ』と、言っていました。


    食欲も出てきたので、まずはひと安心でしょうか。
    脳梗塞の点滴は1週間の使用が目安になるそうです。
    昨日からはリハビリも始まりました。
    退院までもう少しです。



そんな中、
旦那様と子供達は、おとといから三重に行きました。
腕のイイ運転手が留守番となって、今回は新幹線での帰省となりました。
昨日は旦那様の一族20名が集まり、
京都の東本願寺まで義父の納骨を済ませに行きました。 
京都の夏はメチャクチャ暑かったそうですが、
無事にお勤めが終わったそうです。


今日は友人一家と共に、恒例の川遊びに出かけたようです。
いいなぁ・・・。

    

   しかし、母の看病があるとはいえ、
   プールもなければ、ビールもない夏休みなんて
   数年ぶりかもしれない。

   今年は辛抱、辛抱!!!
   今日もこれから母のところへ行ってきます。