Pバレーが終わり・・・
久しぶりの更新ですが、バレーの話だけで終わると思います。
ひと言では語り尽くせない5年分の思い出話です。
興味のない方はスルーして下さい。
Pバレーに燃えたbenizake42歳は、
小学校最後の大会で燃え尽きました・・・結果は惨敗だったんですが。
Pバレーに参加して5年、初めて涙を流しました。
■1年目
ど素人の私がPバレーに参加したものの、堅いボールを返す両腕の内側には
赤紫色のアザがくっきり。このアザ、見た目はヤバイし、触れば痛いしで・・(笑)
初めての大会だし補欠で充分と思っていた・・・エースが靱帯損傷で入院してしまうまでは。
ど素人の私がコートに入って、やっと9人が揃う・・・そんなチームでした。
相手コートからの強烈なサーブを、顔面で受け止めてしまった時は、丈夫自慢の私でも
目の前に☆がチラつきました。
しかしこの大会で私は、PTAの応援体制に疑問を持つことになるわけです。
朝の駐車場誘導や、お弁当時の場所取り、そして選手のお世話まで。
他のチームを見ればすべて役員がやっていることを、本校では選手自らがやっていた。
市内12校の中でも、選手がコンビニ弁当を買って持参しているのも、本校だけ。
自分達のことを、選手それぞれがやっても、問題はナイのだが、チームはPTAの代表でしょう。
全日本チームで例えれば・・・(例えがデカ過ぎか?!)
柳本Japanで活躍する選手が、朝8時に駐車場係りをして、
敵チームに頭を下げながら、自分達のお弁当を広げる場所を「すみませ〜ん」と言いながら
譲ってもらう・・・・・ソレと同じことではないか。
ちょっとオーバーな例えだけど・・・
ゲームの勝敗よりも、本校PTAのバレーに対する無関心さだけが、印象に残った大会だった。
■2年目
本人の意志とは全く関係なく、PTA副会長に就任してしまう。
・・となれば、選手として参加している場合ではナイ!!
コートに入りたい気持ちを抑えて、抑えて、“今こそ裏方に徹しよう!”と決めた年。
PTA代表として頑張っているチーム・・本部が応援しないで、誰がやる?
そんな思いでsadaちゃんとA子さんの3人で、精一杯のサポートをした。
試合のあと選手のみんなからは「ありがとう」 と言ってもらえたけど、
コートに立てなかったあの無念さは、今でも忘れられない。
■3年目
本部続投で迎えたこの年。
Pバレーチームに参加している本部役員は、私とSちゃんの2人になった。
Sちゃんはクラブチームに所属する現役ママさん・・となれば裏方を取り仕切るのは、当然この私!!
(今年もかよ!)と諦めた私の救世主となったのは、この年に就任した教頭先生とPTA会長だった。
上が変われば中身も変わる!!・・ってな感じで、本部の応援体制も完璧なものに!!
・・・と安心した矢先、チーム内に亀裂が生じ始めた。
長年の夢である「1勝」にこだわる現役ママさん
vs PTAとしての「楽しさ」を求める経験者&素人組
この年は経験者と素人ママさん、数名の加入があったものの、現役ママさんは入らなかった。が、
だたひとり教員枠からの参加が認められている先生は、クラブチームでも活躍している現役選手。
この強力な助っ人の登場で、現役ママさん達が「今年はイケル!」と思ったのも、無理はない。
経験者や素人ママさん達の技術や知識が低いのは、当然のことなんだけど
練習が始まると専門用語が飛び交い、素人レベル以上の動きも要求される。
コートの中が一瞬にして、(見えない)ヤバイ空気に変わることも、しばしば。
そんな時こそ声をかけ、笑いを取って、素人ママさん達を励ました。
プレー以外のことで神経をすり減らした年だった。
そして、両者がギクシャクしたまま大会が終わり、
素人ママさん数名は「ごめん、今年でやめるね」そう言って帰ってしまった。
練習の時イチ早く体育館に来てネットを張ってくれたのは、素人ママさん達なのに。
現役ママさん達の夢も、夢のままで終わったけど・・・シラけた打ち上げだった。
■4年目
本部を降りたこの年は、自由の身となっての参加になった。
年に数ヶ月しかやらないバレーでも、Sちゃんが驚くほど体が動いた。
少しでもチームの役に立つプレーがしたくて・・・ただそれだけ。
この年はバックライトだったポジションが、ハーフレフトへと変わった。
サーブカットが苦手な私に、Sちゃんが選んでくれた場所で、自分でも満足するポジションだった。
泣く子も笑う“駄洒落応援団長”からの激励画像に感動したのも、この年でした(笑)
ところがこの年の大会では、チームを真っ二つにするような・・そんな事件が起きた。
念願の1回戦勝利となって、大喜びするメンバーの中で、
一度もコートに入れてもらえない、素人ママさんが1名いました。
戦力になるような技術は彼女にはない。でも同じコートで練習してきた仲間なのに。
保護者の交流を目的としたPTAの大会で、勝ちさえすればそれでいいのか??
試合が終わるまでそのことに気づかなかった自分も、同罪だったと思う。
夢の1勝は叶ったけど、とても後味の悪い大会だった。打ち上げのビールが不味かったこと。
■5年目
最後となった今年の大会。
本部に逆戻りしながらも、頼れる裏方に支えられた大会だった。
両親を気にしながらの練習で、最後まで集中できなかったし体も動かない年だった。
私のポジションも苦手なバックレフトに戻されてしまい
レシーブをするたびに自信を失い・・・やればやるほど空回りするだけで。
ただ去年と違うところは、チームワークが抜群によくなったこと!!
アチコチ電話をかけまくって集めたメンバーだったけど、苦労の甲斐があった。
一番心配した新人の素人ママさんの2名も、すぐにチームに馴染んでくれた。
笑顔のあるチームが一番いい。
チームを動かす現役ママさんは、キャプテンだけとなった。
技術や経験より平等性を重視する彼女は、素人ママさんだろうがコートに入れる。
たとえボールを拾えなくても、コートから出そうとはしない。
みんなで励まし合い、教え合いながら練習に励んだ。
気が付けば、過去5年間の中でも最高にいい雰囲気のチームになった。
肝心の第一試合は、なんと1時間30分にも及ぶ(2試合を続けてやるのと同じ時間)長丁場。
あと1歩のところで・・・ホントにあと1歩だった。
こんなにいいチームなのに、役に立てなかった自分が情けなくて・・・
5年間もやってきて、これっぽっちのことしか出来ない自分が情けなくて・・・
そんなことが頭に浮かんで、とにかく涙が止まらなかった。
午後の親善試合でも、ウチのチームは勝てなかった。
この日の打ち上げは、みんなが輪になり、飲んで笑って試合の話で盛り上がった。
5年前、Pバレーに参加した時は本部の応援もなくて、
コートサイドのベンチも空っぽだった。
そんな状況を変えたくて、選手となり裏方となって頑張って来た。
最後の大会で勝つことはできなかったけど、最高のメンバーと戦えたこと
大声で応援してくれる人が増えたこと・・・。
Pバレーに参加してホントによかったと思う。
今年のメンバーで引退するのは私だけ。5年間前を思い出してまた泣いてしまいました。
教員枠で参加して下さった先生からは・・・
○○さんの最後の大会で、一緒にプレーができたことは
とてもいい想い出になりました。5年間お疲れ様でした。
そう言って下さいました。 そして意気投合した新人ママさんからは・・・
私が引退するときも○○さんのように大泣きできるくらい、
来年からも頑張ります!!○○さんに誘ってもらって、ホントによかったです・・・と。
楽しいPバレーでした・・・ありがとう。