おめでとう、よかったね。

benizake2008-03-19

長女の卒業式が終わりました。
大勢のひとに支えられ過ごした小学校6年間でした。いろんなことがありました・・・・


小学1年生の夏休み。
健康診断で腎疾患が見つかり検査通院した日。尿検査で驚くような異常が見つかり、慌てた医師が全身を見ると、すでに黄疸で真っ黄色(顔や手足は日焼けのせいで全く気づかず・・)そのまま入院。危うく手遅れになるところで胆石が見つかり、それからは石との戦いだった。3年生までに何度か発作を起こし、入退院を繰り返しましたが石だけを取り除く方法がないということで、胆のうと一緒に摘出することになりました。

私が本部役員になったのも、あの子が3年になった年からでした。病院通いとPTAの仕事。休日は子ども会と地区役員の仕事もあった。
周りからの期待に応えたい自分が居たのかもしれないけど、ギリギリの精神状態で毎日を過ごしていたのもこの頃。
忙しい母に甘えられないこと、あの子は感じ取っていたんだと思います。それが「反抗」となって現れ始めた頃でしょうか。

3年と4年の2年間は暴れまくっていましたね。教室に入ることを嫌い、長期欠席になった時もありました。そんな時でも家に子供を残し、PTAの仕事に行かなければならず・・・ずいぶん淋しかったでしょうね。当時、教室に入れない児童が安心できる居場所は、学校にはなかったんです。たとえ30分でも登校できたとしても、保健室でたった一人で自習するしかなく・・・どんどん「ひとり」の世界に追い込んでしまったのかもしれなないです。


でもあの頃は余裕がなかったですね、私に。本部役員も2期目になり、周りからの期待もどんどん大きくなって・・・仕事をこなすのが必死でしたね。私が自由に動けないのは、学校に行かないあの子のせい・・・と思うようにもなって。


5年生になってからは学校側の対策も変わり、特別支援教室での受け入れが始まりました。保健室で「ひとりで自習」の世界から「先生と一緒にできることから」になったんです。登校する時間は遅いけど、給食も食べられるようになって、学校にいる時間が増えました。同じように悩む子数人のグループもできて・・・。クラスでの勉強はできないけど、理科の実験や体育も少人数なら参加できるようになりました。この時から指導にあたって下さった先生には本当に感謝しています。学校キライにはなって欲しくない・・・そう言いながら、根気強く面倒を見て下さいました。運動会も校外学習も、私が居ないときはいつもそばに居て励ましてくれました。


6年生のときに3度目の本部役員でした。最後の1年はあの子に時間を・・・と思いながらも、やらざるを得なかったですね。先生方からも“(長女の)サポートは私たちが頑張りますから・・・”と言われ。3度目となると気持ち的にはラクでしたが、辛さは同じでした。むしろ今年のほうが「最後だから」と参加させたい行事が多く、毎朝のように支度をイヤがる子を登校させるのが、ホント大変でした。


それでも少しずつ教室に入れるようになって来て・・・2学期の終わりには、同じ悩みを持つ友達と歩いて登校するようになりました。そして3学期からはクラスの子と歩いて下校するようにもなって。この行動には私も先生も周囲の人も、どれほど驚いたか・・・。
ブログを休止した理由は、長女のことがあったからなんです。ちょうどPTAの仕事もなく、PCに向かう時間があるなら、長女との時間を増やそう、喜ぶことをしてあげようと。あの子が帰ってくる時間には、手作りおやつを用意したり、夜はパズルをやったり、テレビを観たり・・・。3月のある日、今年で最後となった6年の親子レクでは、子供達からの手紙が渡されました。そこには感謝のことばと一緒に「役員はやってほしくなかった」とありました。



遅かったのかもしれないけど、今までやってあげられなかったこと。ずっと淋しい思いをさせてしまった母からの、せめてもの償いです。




昨日の卒業式、立派でした。ちゃんと出来ました。こうして書いているだけでも、泣けてきちゃうので・・・今日はここで終わりにします。


実は私、朝まで一睡もしないで卒業式に出たんです。とんでもないことがあって・・・