6月7日

昨日は知人に不幸があり、父を連れての外出になりました。人は誰でも訪れるであろうその時、不思議なことが起きるものです。

昨年11月に父方の叔母が他界しました。20代でリュウマチを発症、長い長い治療が続くなか、難病ともいえる膠原病も併発、入退院を繰り返す日々でした。私と同い年の従妹も遺伝なのでしょう、母親と同じ症状に苦しんでいます。

従妹が30代後半の頃、建築業を営んでいた父親が真冬の現場に出かけたまま戻らず、雪の降る深夜に発見されるという騒ぎがありました。心筋梗塞を起こし手遅れでした。会社は婿養子の旦那さんが継ぎましたが、父を亡くし自分の体調もすぐれない中、娘一人で母親の面倒を見るのは、とても大変だったようです。

叔母を見舞いに行ったとき、従妹の居ない病室で『私が居なくなったらあの子が可哀相だから、もう少し頑張るから』とポツリ・・。それが一昨年の夏、叔母は乳癌の宣告をも受けていました。何十年も続いた投薬のせいで、身体は手術も受けられないほどに弱っていました。『あとは寿命が尽きるまで、自然に任せるだけなの』と、穏やかに話してくれたことを思い出します。

一人娘を淋しがらせたくないと言う思いだけで頑張っていたのでしょう。喉を通らない食事も我慢して食べていたそいうですが、或る日『もう食べなくてもいいかな?』と言ったそうです。食べないと言うことが、どうなるかを分かった上での言葉です。そうすることが、どれほどの勇気がいることか・・死を覚悟したその翌日から、叔母は昏睡状態に入りました。

訃報が届いたのはそれから1週間ほど経ったころでしょうか。

叔母の急変を知らせようとした看護師が自宅に電話をしたそうです。それが朝6時前のこと。ところが何度かけても電話はつながらず、つながったと思えば間違い電話。番号を確認し、何度もかけ直しても連絡がとれず、携帯もダメだったと・・。結局、たまたま知らせてあった会社の従業員を経由して伝わったそうですが、それは叔母が息を引取ってからのこと。
娘の体調を気にかける母が、朝6時に娘を呼び出したらどうなるか、携帯は枕元にあったそうですが一度も鳴らなかったそうです。朝6時には娘婿が犬の散歩に出ていることも知っていました。娘家族の生活を乱したくない・・娘家族を愛していた叔母だったら、そう思っても当然です。自宅の電話も鳴らなかったそうです。

従妹家族の献身的な介護を見ていた病院職員からは『こんなに素敵な家族は見たことがない』と言われたそうです。『私が居なくなったらあの子は一人だからさぁ。beniちゃん、Mちゃん(beni姉)、その時はお願いね・・』と。父と帰宅しながら叔母との約束も思い出していました。